持木ユリイカです。

ご自愛強めのおうち暮らし

季節外れの正月

学生時代、比較的貧乏だったので正月はバイトに明け暮れていた。実家は遠く、正月に帰ると無駄に交通費が高いので正月を避けて帰省していた。あまりに遠いので、帰省ではなく旅行気分である。

そして帰省した時が一年の節目という感覚が生まれた。私の一年は帰省途中の夜行バスの中で切り替わる。車内灯が消され、青みがかった灰色の天井を見上げた瞬間に正月が来る。また新たなる一年。

明日。3年3ヶ月ぶりに帰省の途に着く。学生時代に抱いた感覚を採用するのであれば、3年3ヶ月ぶりに正月を迎えるのだ。おめでとうございます。

新卒で入社したメーカーを退職してからも、一度も実家に帰っていない。退職後に勤めた仕事の一つが7月末に完了したのでまさに今、節目の真っただ中。だらだらと何とかいくつか仕事をさせてもらいながら食いつないでいる。だらだら感を感じるのはもしかしたら単純に正月を迎えていなかったからかもしれない。

終わりのない映画はホラー映画であるといった人がいたが、区切り目である正月を迎えられないのも恐ろしいものがある。新年がなければ今頃12856月13日とかだったら嫌じゃないですか。(数字はテキトーです)儀式無くして気持ちは切り替わらないのだ。自営的な働き方をしていると、仕事とプライベートの境目は曖昧で終業という毎日の儀式もなかなかできない。なだらかに続く毎日のなかでゆらゆらーゆらゆらー浮かんでいて、陸に上がることがないような感じです。

正直実家に帰るより台湾行きたいんですけどね。前会った時より背中が小さくなったであろう両親や、どんな距離感だったかすでに忘れた兄弟と会うことも儀式のひとつなのだ。

29歳の目で地元を見てこよう。あとね、29歳の財布と味覚で海鮮三昧するのも楽しみにしてるの。

ちょうど節目なので考えるべきことはたくさんある。ちょっくら育った場所を指差し確認してきますわ。



アラサータイマー

ソニータイマーなんてものが流布していたが、アラサータイマーというものがある。

前者はソニー製品は保証期限ギリギリ前に壊れることをユーザーが嘆いたものだ。後者は、一人暮らしアラサーの家の家電製品が20代後半で壊れることを言う。今つくった。

私は28歳の歳で洗濯機と電子レンジが完全にだめになった。今年は冷蔵庫がその役目を終える予定である。照明器具もそろそろ。家電ではないが、ベッドも買い換えないといけない頃合いだ。

これは原因がはっきりしている。学生時代に一人暮らしを始めた際に購入した家電が軒並みだめになっていくタイミングなのだ。18歳で始めればちょうど10年。大学寮にいたりしたので多少タイミングはずれるが、7.8年も使ってれば家電は壊れる。

うまいことに世間ではこのタイミングより前に嫁いりするので、問題ないらしい。悲鳴をあげるのは独身アラサー。はい、そこ顔をしかめない。このブログはアラサー芸を披露します。と看板に書いてある。アラサー芸とは、アラサーのアラサーによるアラサーのための慈しみ合いっこであり、アラサーのアラサーによるアラサー以外のためのファニーな不幸いじりなのである。

私はハゲは別に好きでも嫌いでもないが、ハゲをネタにし、ネタにさせてくれる人はわりと好きだ。

だからアラサーをネタにするし、ネタにしてほしい。この世を楽にするのはネタ思考。何でもネタだからオールオーケーなのさ。

アラサータイマーに話を戻すと、アラサーの新規家電購入には痛みとペーソスが伴うのです。

痛みは経済的負担。ペーソスは、もしうまいこと、万が一、意外と、2.3年後に結婚できた場合、この一人暮らし用家電は無駄になるよなぁ、いやいや、結局めっちゃ役に立っちゃうんじゃないですのん、という逡巡。

amazon楽天のサイトとにらみ合いっこしながらそんなことを考えているのです。

アラサーは小説になる。なぜなら気持ちの振れ幅が大きく、哀しみも多く、なおかつ人に言いにくいから。誰かと気持ちを共にしたいけれど、同情はされたくないし、同族同士で愚痴り合っても、いや、お前とは状況が微妙に違うから一緒にしないでくださいと同族嫌悪におちいるから。人と共有したいけれど、するのは悔しい。そこに人間ドラマはあると思いませんか?

今日も壊れかけの家電をなだめながら、強く生きて行こうと思いつつ、弱くなったほうがいいんじゃないかと独り言つ。




アラサーハートをまずお伝えする。

何が欲しいって伴侶である。

続々とFacebookで友人や、友人の友人(微妙に知ってる)の結婚式報告が流れてくる中、
流れるっていってもこちとらアラサー流せねえんだよ!思ったよりじっくり見てしまうよ!

心にはハリセンボン無理やり自分に麻酔薬を打ち、なんでもない顔をするのである。一応書き足すけれど。さすがの私もお祝いの気持ちはあるぞ!

結婚がしたいわけではない。結婚自体はしたくないこともないけれど、それは誤解を恐れずに言うならば、誰かに一生の伴侶として選ばれたいだけなのだ。結婚相手は一人である。誰かの一人になりたいキィィィィッ。でも、結婚に付随してくるいろいろをパッケージしてみたら、私にはとてもそんな大役つとめきれません、とヘナヘナ腰が砕ける。毎日の料理、親戚付き合い、自分以外の人の生活や将来に真剣に責任を持つこと。結婚してるひとってほんとにすごい。人がやりたくないことを引き受けるって小学校時代のスローガンかよ。

ってことで結婚はやだけど、伴侶が欲しい。

甘々な恋愛をする体力もない。仕事だってありがたいことにある。日々の生活を整えるのに必死だ。でも余った空白はある。埋めたい。穴があるから埋めたい!なので、時間や出来事をともにする相手が欲しい。激しくもなく淡々と仲睦まじくなって共通のことばが増えていくような間柄が欲しい。寄り添いてえ!

29歳になると逆に処女の精神性を持ち合わせる。流れでいろいろどうにかなってた20代前半。あの頃を思い出し、でもあれちゃんと恋愛だったんすかね、と。あらら、恋愛がわからない、となってしまう。もう恥ずかしすぎて一生ひとに好きですなんて言える気もしない。一周して純情。自分の中の恋愛博士にどうしようかと聞いてみるが、そんな博士は机上の学問のみを扱ってきたので恋愛漫画を勧めてくるだけなのである。

同い年の友人が前髪を女子アナのような雰囲気に切りたいと言っていた。偶然にもわたしはその一ヶ月前にセントフォースと叫びながら工作用のはさみで前髪を作っていた。

アラサーは行動パターンが似てくるのか。

愛され服やモテヘアなんて20代前半まではバカにしていた。恋愛合理性の中で生きている人々。疑問はいだいているのか、他の世界を知らないだけなのかはわからないが、それでも、浅はかなギャルと思われたくない一心で試しもせずにバカにしていた私の方がバカだったのだよ。もちきくん。

29歳にもなって未だに夜中に突発的に工作用はさみで前髪を切っているところが、まだまだなんだと思うけれど。またまだというのは経済的成熟性とでも言おうか。お金を使うべきところ(とされていること)に使う余裕がないまま年齢だけ大人になっている。これはお金を使う場面を自分で選ぶ工夫ではなく、雑なのだ。丁寧にいっこいっこ捉えていないのだ。自分の人生のステップもいっこいっこちゃんと計画的に捉えていなかったのだ。ちょっと29歳になりたての今、いっこいっこ捉えて考えてアクションしたいと思う。

それでも、自分は自分、好きなんすよねー。

嫌われそうなくらい正直に書きました。でも同じようなことを考えてる同世代ちょっとはいるんじゃないかな。精神的露出狂なので、私が代わりに書いたげるっ。持木その歳でオイオイオイと思った方は、私だって来年同じ考え方してるとは限らないので暖かく見守ってくださいな。あたくし人より成長も理解も諦めも遅いのよ。