持木ユリイカです。

ご自愛強めのおうち暮らし

アラサーの方程式

ヘドウィグ&アングリーインチを見ていない人には申し訳ないが、今から物語の結論めいたものを言います。
人間はもともと二人で一つだったものが、半分に分かれてしまった。だからもう半分の片割れを探そうとしていた主人公、一人で一つだったんやわと気付きます。そして”明るい暗闇”のような空間に進んでいく。これが囚われていたものからの開放か、それとも生きる目的を失った絶望かは見る人によって、見るタイミング・心持ちによって変わるかなと思われる。それ以外の感想ももちろんあっていい。

欠乏は好き。

欠乏から物語も、気力も生まれると思う。
川上弘美の小説を最近読んでいるのだかれど、何かしら欠けている男性が必ず出てくる。自殺した小説家が名作を残したのも、欠乏から物語が生まれたからではなかろうか。


私の生まれ育ったところは田舎で、B.C(Before Christ)じゃなく B.A(Before Amazonね)に生まれたので、小さい時は、欲しいものはほぼほぼ手に入らなかった。
だから手芸を始めたのだし、欠乏故に手に入れたのがお裁縫の技術である。上手くはなくとも。
 
満たされていると、欲望も行動も生まれない。
 
アラサーでペットを飼った女性は結婚しにくくなるというのも、穴が埋められちゃうから。
ペットのホオミドリアカオウロコインコに一生懸命「おかえり」を教えているアラサーは、見ていて物悲しいけれども、物語の一場面にはなるよね。
 
質の悪いことに、そんなネタがある自分の生活を愛してしまっている。
欠乏から生まれた物語を好んだ末の袋小路。
 
欠乏→欠乏している自分気持ちいい→逆に満足→欠乏故の行動さえ起こさない。
 
これはある一人の独居アラサーの方程式。
世にも恐ろしい、独りよがりの円環。
 
悦にいるの楽しい~~~~!